高坂 正堯 (2006/05/01最終更新)

  われわれは平和について語るとき、

  なんとなく抽象的な平和を考え、

  それにわれわれの希望を託し、

  現実の世界の恐怖と対比させてしまう。

  しかし、抽象的な平和などはありはしない。

  存在する具体的な平和は、

  すべて但し書きを必要とする。

  そこにわれわれの置かれた苦況があるのだし、

  その苦況に直面することが

  われわれのつとめなのである

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  国内政治においてはきわめて権力政治的な人間である日本人が、

  国際政治に関しては権力政治に適応する能力に不足していることは、

  なんとしても否定しえない事実なのである

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  昔から、

  困難な状況に直面したときの人間の態度は、

  いつも判で押したように同じであった。

  そんなとき人間は、

  いつも非難すべき悪い人間や悪いものを見出して、

  それを血祭りにあげてきたのである

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  国際社会にはいくつもの正義がある。

  だからそこで語られる正義は

  特定の正義でしかない。

  ある国が正しいと思うことは、

  他の国から見れば誤っているということは、

  けっしてまれではないのである

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  がんらい勢力均衡原則は苦肉の策であった

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  各国が勢力均衡を口にしながら、

  獲得しようとするものは、

  自国に有利なような「均衡」である

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  人間は、相手の侵略的意図を疑うことはあっても、

  自分が相手に対して与える脅威についてはきわめて鈍感である

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  不幸なことに、

  人間は理性のおかげで、

  それほど単純にはなれないのである

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  嫌なのはブームのときにはそれをはやし立て、

  一旦世の中の風潮が変わると、

  それに対して始めから反対であったかのように、

  かつ道徳主義の立場からこきおろし、

  悪者を探し出そうとする傾向が存在することである

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  元来、経済には独自の論理がある。

  それは一部の経済学者の言うように強力でもなく、

  また明快なものでなくても、確実に存在する。

  だから一国の政府が経済を十分に管理し、

  思うままに動かすことなど到底できるものではない

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  もはやわれわれは

  もの作りに専念した昔に帰ることはできない

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  急に成功した、いわば成り上がり者の成功とナショナリズムほど

  嫌な恐ろしいものはない

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  国際機構には限界もあるし、欠点もある。

  しかし、いくつかの利点もある。

  そのうち重要なひとつは問題を国際化し、過去において

  辺境地域とも言うべき(十九世紀末の極東はそうだった)地域において

  関係者が絞られ、対立が明白になり、

  したがって妥協的解決が困難になって

  軍事力が使われるという危険を小さくすることである

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  歴史上の人物を考えるとき、

  われわれよりも理性や計算の面で数等劣っていたとか、

  道徳的におかしかったとして、

  その失敗を説明することは、

  歴史に対する正しい態度ではない。

  それでは歴史から教訓を学ぶことはできない。

  彼らは彼らなりに必死になって考えて、

  かつ失敗したのであり、

  そのように限定してその失敗をもたらしたものは何かを理解して

  歴史の真実の理解となる

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  政治も善い方がよいに決まっているのではあるけれども、

  善い政治なしに何とかやって行ける方が

  より幸せではないだろうか。

  私は政治学をやっているので、

  政治の重要性は否定したくない。

  しかもなお、

  善い政治なしに巧く行く方が人間にとって幸せではないだろうか、

  という疑問をずっと感じてきた

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  政治とは妙なもので、

  政府が弱いのも困るが、

  それによる停滞は取り返しがきく。

  しかし、強すぎる政府による失敗は生命(いのち)とりになることが多い。

  だから、やや弱い政府が国のためには一番よいということになる

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  政治は、大体のところ利害調整の問題である。

  そこから一歩進んですばらしい社会を積極的に作ろうとする政治は、

  多少の年月が経てば必ず、

  そして甚大なコストを伴って失敗する。

  だから私は“徳治”の思想には反対である。

  しかし政治は利害調整につきるものではない

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  政治における腐敗は、

  それだけを無くそうとしても無くならないものだ、と私は思う。

  腐敗が合議による政治につきものである上に、

  腐敗への批判が人々の嫉妬心に多く根ざすが故に、

  そうなるのであろう

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  男たるもの女にもてることは重要な美徳のひとつなのである。

  断るまでもないが、

  それはやたらに女に手を出すのとはちがう

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  大きな声にはひとまず低姿勢というのがもっと悪い。

  だから大きな声が勝つことになる

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  小悪人はそれほど非難されないままに消え去るから、

  “悪党”として歴史に残っている人には

  なんらかの能力と業績があるわけである

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  建設的で具体的なプログラムを提示することなく、

  専ら感情をたかめる思想ほど危険なものはない

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  一旦否定されたと思ったものが復活するとき、

  それは不吉な力を持ちがちである

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  人間は理想的な状況で、

  ゆっくり時間をかけて考えることを、

  まずは許されはしない。

  切迫した状況のなかで、

  限られた材料での判断を強いられる

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  政治の世界においては

  他人への恐怖が人間をして

  力を求めさせるのである

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  十歳そこそこの子供に

  政治のイデオロギーは単なる言葉に過ぎない

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  三、四百年前まで、

  海洋によって他の世界から切り離されていた日本は、

  今や海洋によって他の世界と密接に結びつけられている

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  人間は大抵、

  過ぎ去った時代の地理を見る目(地理的視野)によって地理を見ている

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  異なる世界と交渉を持つときにもっとも恐れられるのは、

  病気を始めとするさまざまな悪である。

  異邦人の持つ力よりも、

  それの持つ悪に感染する方がはるかに恐ろしい

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  文明人とは

  病気についても悪徳についても、

  より多くの悪への抵抗力を持っている人間たちだということができるであろう

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  社会のなかには、

  さまざまな要因が微妙な釣り合いを保っている。

  人びとはそのなかのあるものを善とし、

  あるものを悪とするけれども、

  その相互の関係は複雑に入り組んでいて、

  どれが善であり、どれが悪であるかを言うことが難しいのが真実なのである

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  衰亡論はわれわれに運命を考えさせる

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  民族国家はほとんどの場合、

  あまりにも小さすぎる

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  われわれ日本人には、

  国際環境を気象のような与件としてとらえ、

  それに対応することをもって外交とみなすところがあり、

  自らも加わって変えていくことができるものとして

  国際環境をとられることが少ない

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  通商関係が多いことは

  孤立主義ではないことを意味するわけではない。

  孤立主義の特徴は

  国際政治への関与を避けることにある

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  力も必要なのであって、

  力が必要というわけではない

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  どのような体制のなかで育ち、

  どのような教育を受けようが、

  人間はそれを越え、

  歴史を通じて形成されてきた普遍的な価値を評価する人物が現れるものなのであろう。

  だからこそ、

  歴史は動き、おおむね進歩する

 
  〜 『国際政治』『世界史の中から考える』『世界地図の中で考える』
    『日本存亡のとき』『文明が衰亡するとき』 〜