河上 和雄 (2006/02/16最終更新)
同じ法律関係の仕事とはいえ、
組織から給料をもらうのと、
自分の手で仕事を取ってくるのとでは、
天地の開きがある
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人間にとって、食べていくのは大事なことだ。
だが、ときにはやせ我慢をしてでも
通さなければならない「筋」というものがある
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食うことを犠牲にしても筋を通すのは、
体面を取り繕うためではない。
自分自身を尊敬できるかどうか、
それが唯一の基準だ。
私の場合、
刑事事件の弁護をしている場面を想像したとき、
とても自分を尊敬する気持ちにはなれなかったのである
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暴力団は驚くほど高額な弁護料を提示してくるから、
食っていくのに必死な新米弁護士としては断りにくい。
しかも暴力団がらみの場合、
そんなに複雑な事件はないから、
仕事としても楽である。
楽で報酬が高いのだから、
これほどオイシイ話はない。
だから、熱心に取り組む。
すると、その業界での評判が広まって、
次々と暴力団からの需要が増える
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事実、いつの間にか暴力団の若頭にまで出世してしまい、
弁護士の資格を失った元検事もいた。
人相が悪くなるのは、
暴力団にからめ捕られた弁護士だけではない。
検事時代は清潔な印象だったのに、
弁護士になった途端に貧相な
卑しい顔になっていった人たちを、
私は何人も見てきた
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弁護士になるとき、
私はそういう顔にだけはなるまい、
と心に決めた
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もちろん、私だってカネは欲しい。
清貧の思想を気取るつもりなど、毛頭ない。
しかし、あえて金銭欲にフタをしても守らなければならないものが、
やはり人間にはあると思う。
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いまは日本全体が、
貧相な卑しい顔になっているように見える。
それは、日本人一人ひとりが
自分なりの「正義」を見失っているからではないだろうか
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たとえば、日本テレビに出演した後に
TBSへ顔を出せば、
日本テレビで言ったのとは違うコメントをしようとするだろう。
態度は無愛想だが、
私にもそれぐらいのサービス精神はある。
しかし、同じ事件について、
そんなにいろいろなコメントができるはずがない。
結局、どの局でも同じ顔で同じコメントを垂れ流すことになる。
これほどみっともないことはない
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法律の世界でもそうだが、
いまはどんな分野でも新しい情報が次々と送られてくる。
それを意欲的に吸収し、
自分なりに考える努力をしなければ、
専門家としての実力が低下する一方だ
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子供の正義感には純粋な部分があるから、
それを通すことで大人以上に激しい摩擦を起こすこともあるだろう。
現実的な利害関係を調整する知恵がなく、
「善」と「悪」を観念的に割り切ってしまうからだ。
そのまま成長すると、
大人になって「正義感のお化け」みたいな
厄介な存在になることもある
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しかしふつうに考えれば、
正義感が強いことは基本的に高く評価されるべきことである。
その正義感をオブラートにくるむ知恵は必要だが、
はじめから正義感を持ち合わせていないのでは話にならない
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世間をうまく渡るために、
長いものに巻かれることばかり上手になり、
正義感などどこかに置き忘れてきた人が多い
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たしかに、正義感はカネ儲けに不必要なものだ。
ねじ曲がった世の中で筋を通そうとすればかならず摩擦が生じるから、
出世の妨げにもなる
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カネの持っている価値は、極めて具体的だ
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カネは目に見えるし、大きさを数字で表すこともできる。
求める価値として、これほどわかりやすいものはない。
どんな美辞麗句を並べてみても、
カネの威力に太刀打ちできないのだ
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善悪の判断は、人によって、社会によって、
時代によって、それぞれ違う
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当然、私にも欲望はある。
カネも欲しいし、女性にもモテたい。
功名心もあるし、出世したくないといえばウソになる。
そんな誘惑を振り切ってでも筋を通そうとするのは、
決してやせ我慢ではない。
そうしないと、居心地が悪くてしかたないのだ
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自分の信じる正義さえ貫いていれば、
常に堂々と胸を張って生きていられる。
欲望を満たすことより、
そういう充実感のほうが私にとっては大事なのである
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一人ひとりの人間が、
後ろめたさを感じないような生き方を選択していけば、
少しはマシな世の中になるのではないだろうか
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いくらカネが儲かっても、
どんなに高い地位まで出世しても、
自分らしさを見失っていたのでは、
心から満足することはできない。
その成功を満喫すべき自分自身があやふやな存在になっていたら、
何のためのカネや地位かわからないからだ
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尊敬することとお世辞を言うことは別の話だ。
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ふだんから勢い盛んな人間に擦り寄って
お世辞を言う連中の姿を見るたびに、
見苦しいと感じていた
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力の強い者や地位の高い者に対するお世辞には、
多少なりとも打算が含まれている。
自分を守ってもらおうとか、
出世コースに乗せてもらおうとか、
心のどこかに功利的な魂胆を抱えているわけだ
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上司に向かって見え透いたお世辞を平気で言える人間など、
掃いて捨てるほど見てきた
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摩擦を覚悟すれば楽になる
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強引に筋を通そうとすれば、責任も重くなる
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責任の所在を曖昧にしておくためにも、
自分を押し殺したほうが得策なのだ
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モラルスタンダードが低い世界では、
こういう理屈が力を持つことがある。
みんなやっていることなのだから、
よほど突出した許しがたい悪事を働かないかぎり、
見逃してもいいのではないか
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検察には誰よりも高いモラルが求められている以上、
相手のモラルスタンダードに合わせて仕事をするべきではないのだ
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政治家本人や秘書の身辺調査を始めれば、
すぐにマスコミが嗅ぎつける。
十分な証拠が集まっていなくても、
汚職の嫌疑がかけられているとなれば、
彼らは一斉に書き立てるだろう
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逮捕されたわけでもないのに、
その人物の政治生命が終わってしまう可能性もある
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いわゆる事なかれ主義だが、
これが意外に手強い。
そこを突破して筋を通すには、
かなりのエネルギーがいるものだ
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組織というのは不思議なもので、
誰かが無理をして動いたとしても、
結果的には落ち着くべきところに落ち着くのだ
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私にとっては、「言行不一致な男だ」と
後ろ指をさされるぐらい
嫌なことはないのだ
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摩擦が起きるのは、
上層部が私をそういうポストに置いているからだ。
それは向こうの判断であって、
私が求めたわけではない
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それが上層部にとって気に入らない結果を生むというのであれば、
そのポストから私を外せばいい
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それなら、
今のポストにしがみつくために、
上司に気兼ねして自分らしさを捨てる必要は少しもない
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判決を左右する重要な部分については、
絶対に追及の手を緩めない。
しかし、被疑者が肯定しようが否定しようが
大勢に影響のない部分というのはある。
それを見逃すことで被疑者が精神の安定を保てるならば、
少しは多めに見てやってもいいのではないか。
それが私の考え方だった
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取り調べは生身の人間同士が向かい合うコミュニケーションだから、
科学の実験とは違って、
証拠を積み上げていけば真実が証明されるというものではない。
相手のささやかな抵抗を許してやることで、
重要な点についての供述がスムースに得られることも少なくないのである
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人間、環境や立場が変われば
誰しも同じ罪を犯す可能性はある。
ありふれた言葉だが、
罪を憎んで人を憎まず、といった心境である
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自分の方針が否定されたにもかかわらず、
その結果をまるで自分の手柄のように言い募る。
これは指導者として絶対にやってはいけないことだ
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送りバントのサインを出しておきながら、
結果が逆転ホームランになると、
「あいつは何かデカイことをやってくれる男だと思っていた」
とうそぶく。
そんな人間に、人の上に立つ資格はない
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外交上、政府の責任者が感謝の意を伝えるために相手国へ行けば、
そこには別の意味合いが生じてしまう
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ペルーは事後処理に成功しただけであって、
事件を起こした責任は依然として残るのである。
したがって、
国際的な常識に照らして考えれば、
ペルー側が日本に謝罪するのが筋だ
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福田首相は、「人の命は地球よりも重い」という、
実に呑気な台詞を吐いた。
自分が行った取り引きによって
将来どれだけの人命が失われることになるか、
まったく想像力が働いていないのである
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目的を達成するためには、手段を選んでいるヒマはない。
これが、モラルに反する行動を取る政治家たちに共通する論理だ。
政治家として働く以上、
自分には国民に幸福をもたらす責任がある。
それを実現するためには、
口先で理念を唱えているだけでは意味がない。
具体性のある仕事を進める力を手に入れるために、
必要とあらば手を汚すことも辞さない。
大きな「筋」を通すためには、
小さなところで「筋」を曲げるのもやむを得ないのではないか。
というわけだ
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しかし、問題は、
こうした理屈が無能な政治家にまで都合よく使われてしまうことだ
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前任者が「清濁あわせ飲む」タイプなら、
次にトップに立った人間もそのやり方を踏襲しようとする。
しかし、ビデオテープと同じで、
コピーの品質はオリジナルより劣化するものだ。
同じ手法を取っているつもりでも、
必ず抜け落ちる部分が出てくる
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トップとしては「裸の王様」にならないように気をつけなければならない。
ところがトップになった途端、
いきなり周囲の人間がイエスマンになってしまった
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すべての部下から人望を得ている上司など、かえって気持ち悪い。
満場一致で認められた決定が、
どこか胡散臭さを含んでいるのと同じである
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平均点ばかり取る部下は使いやすい
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百点がないから大きな仕事は任せられないが、
ひどい失敗はないから通常の事件は安心して任せられる
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新しい情報が欠かせないのは、どんな職業でも同じだろう。
勉強が苦になるようでは、
プロとして一人前にはなれないと思う
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体罰そのものではなく、
どういう子供に、どんな状況で、どんな体罰が効果的なのか
見極める眼力を持つ大人がいなくなったことが問題なのだと思う。
要するに、筋の通った体罰を加えられる大人がいないのだ
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たしかに、子供の心を理解するのは大事だ。
だが、変に物分かりがよくなり、
大人が子供に迎合するようでは、
まともな教育にはならないと思う
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日本の場合、「フェア」と「イーブン」をはき違えているようなところがある
〜 『正義の作法』『好き嫌いで決めろ』『楽老の計』『責任の取り方、誠意の示し方』 〜