吉本 政美の言葉 (2005/11/10。12/1加筆)
日々向上、おまえらに調整はない。
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勝って不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし
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あと、四ヶ月で俺の命は消えるのか?
そうはさせん。
俺の寿命は俺が決める
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人間づくりはベルトコンベアに載った商品のように
流れ作業的にはできない。
手作りでなければならない。
それには
学校だけの生徒とのつきあいだけでは
時間が足りない
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ここで厳しく指導しておかないと、
彼らの明日の成長にはつながらない
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先生、あるいは指導者という立場でいる以上、
技術や知識が不足していてはいけない。
滞ってはいけない。
コツコツと修行し、
無限の力をつけておかなければならない
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上手い生徒や選手より、
正しく強い人間をつくれ。
剣道は一本一刀。
人生に余韻を残せ
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私を採用しないと宮崎県の損ですよ
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俺は日本一の“ほら吹き”男になる。
ほら吹きと嘘つきは違う。
嘘つきは自分が言ったことに対して行動しない者であり、
ほら吹きはでっかい夢を語ったことに対して、
たとえ結果まで行き着かなくても
一歩ずつでも近づこうと努力した者だ。
幸い、俺はほらを吹きながら
結果を出すことができた
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教育現場に戻りたい。
俺には管理職は向かない。
俺の心の襞までもきっちり伝えられる
生徒の側に戻りたい。
生徒に一番近い場所で働きたい。
パソコンの前に座っている管理職は、
俺でなくてもできる人はたくさんいる。
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家はいらん。
道場があればいい。
家だけなら誰でも持つし、
それでは守りの人生になってしまう。
道場を建てて、
俺は自分を磨きたいし、
常に人生に挑戦していきたい
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八段に合格したからって八段の中味があるわけじゃない。
これから八段の中味をつけていかないといけないんだ
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ただ剣道は汗を流したり、
勝ったり負けたりで終わるものではない
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“修行”という月日を重ねるごとに深みが出てくるし、
八十歳、九十歳になっても続けられる。
体力を越えて精神分野にまで行き着くものであり、
禅にも近い心の修行を目的とするものだ
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わび、さびの世界にも通じる日本古来の武道であり、
日本人の俺たちが奥深く修行しても、
その精神を見出すことや伝えることがなかなか難しいのに、
外国人にその精神を果たして間違いなく伝えることができるのか
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人生八十年生きられるのが当たり前だと思っていた俺が迂闊だった。
仏様も神様も誰も約束してくれたわけではなかったんだ。
あと三十年あると思っていた自分が愚かだった
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母さん、休ませてもらえよ。
みんながいてくれるから大丈夫。
甘えるときはありがたく人の情けに甘えなさい
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母さん、あんたならやっていける。
俺がいなくても大丈夫。
俺が息を引き取った瞬間、
絶対に泣き狂うな
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ただ一番自信がないのは
お前たちと本当にお別れができるかなっていうことだ
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それから怒らんでくれよ。
俺の骨は京都武徳殿の横に建っている
内藤高治先生の碑のところに少しでいいからまいてくれ。
もう京都大会にいけそうにないから…。
いつものようにみんなの竹刀の音を毎年聞きたいから…。
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俺は寂しがりやだ。
そして話好きだ。
誰かが俺の墓参りに来たら、
一緒に語りたいし、
飲みたいし、
笑いたい。
だから今のうちに墓の手前に石でできた
椅子とテーブルを作っておこうかな。
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俺に話しかけて下さった方には必ず答えを返す…。
俺の姿が見えなくても
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最後に、母さん、富山の実家には俺が死んでも帰るなよ。
お前の父ちゃんに頼んでおいたから。
肉体はなくても、俺の魂は道場と家から離れない。
お前が富山に帰ったら、
俺は話す相手がおらんなるじゃないか。
約束してくれ