米長 邦雄 (2005/11/28)
いかなる局面においても
「自分が絶対に正しい」
と思ってはならないということだ。
謙虚でなければならない。
どんなに自信があっても、
それを絶対と思い込んで発言してはならない
- - -
足りないと思っているうちは必ず間に合う、
いくらでもあると思っていると、
いつの間にか足らなくなる
- - -
勝負というのは、
100点を取るために一所懸命、
これ以上はできんというくらい努力することで、
実はそのことがいちばん大事なんだ。
その結果、
勝ったか負けたか、
何点だったかなんて、
人生に最も大きな影響を与える運気には
何の関係もないんだよ。
そんなこと、どうでもいいんだ。
お前たちは100点を取ろうと頑張った、
そのことが100点なんだ
- - -
悪い場合には、
どこかに素直になれない原因があると考えたほうがいい
- - -
「どうせ俺なんて……」
これは勝利の女神が最も嫌う言葉である
- - -
脳ミソが汗をかくほどの集中力が大切
- - -
脳は覚えるという作業では
汗をかかないのである
- - -
負けつづけているうちに、
それに慣れてしまい、
ついには、
負け組の視点でしかものを見られなくなる。
- - -
人と猫は一日でも先に生まれたほうが偉い
- - -
たとえ一パーセントでも、
可能性があるのなら、
負け犬になってはいけない。
敗北や失敗を前提に行動すると、
その悪影響は、
その行動の結果だけに留まらないのである
- - -
わずかな確率であっても
勝利の目があるなら、
それを求めて全力投球しなければならない。
その結果、
敗北したとしても、
それは大したことではない。
敗北したという結果よりも、
勝利を求めて全力投球したという過程のほうが大切なのである
- - -
お墓参りというと、
お線香と花を持っていって、
手を合わせるという人が多いけれど、
そんなことはしなくともいい。
おわすがごとく、というのが大事だ
- - -
私が名人になれたのも、
きっと伊藤能のオーラのおすそ分けによるものだ
- - -
聞く、見るといったことは、
誰にでもに共通して感じられる
客観的な現象だと思いがちだが、
実はそうではない。
聞いて聞こえず、見て見えずは、
ごく日常的にも起こる
- - -
願わくば、
将棋のピークを六十歳で迎えたい。
四十代に入ってから、
私はずっとそう考えていた。
- - -
勝負に最も影響するのが、
カミさんの精神状態
- - -
お互いにストレスが溜まらない、
心が落ち着いている、
そして家の中の空気が円いということが、
ひじょうに大切なのだ
- - -
人の運気は家の空気が育てるもので、
これが乱れたり荒れたりしてはいけない
- - -
人というのは、
物理的に生存している人間だけが
「生きている」のではない。
死んでからでも、
誰かが覚えていれば、
その人はまだ
「生きている」
のだ
- - -
片親であっても、
それが生き別れの場合でも
死に別れの場合でも、
夫婦仲というのは
子供にとって絶対なのである
- - -
「天の時、人の和、地の利」という言葉があるが、
私は
「地の気」
を大事にしたいと思っている
- - -
明日があると思うこの馬鹿者めが。
今日でも遅すぎるぐらいだ
- - -
どちらの手を選んだにしろ、
これは指運(ゆびうん)だと思った。
私が選ぶ手ではあるが、
それは、そのときの女神が私に選ばせた一手なのだ
- - -
なんとなく、空豆をつまんだ指の運で、
勝てるような気がした
- - -
将棋の局面で優勢になるとは、
人生で言えば、
少しばかり金が儲かったという程度のことである。
- - -
将棋界では、
「師匠の恩は弟子に返す。
先輩の恩は後輩に返す」
ことになっている