野中 広務 (2005/12/17)
言うまでもなく、日本の安全保障は、
米国なしには成り立ち得ない。
戦争に敗れた日本は、
戦後、軍事力を限定され、
米国の力のもとに自国の安全保障を保ってきた。
完全な独立国としての要件を欠いているとも言える
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もともと地味な風貌と饒舌とは言えない語り口。
また言いたいことを言える立場にある小泉さんなどに比べ、
ほぼ首相の座が約束された小渕さんの発言は、
どうしても慎重にならざるを得ない。
これでは人気が出るはずもない
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おそらく小渕さんも私と同じく、
見た目やしゃべり方の善し悪しとか、
向こう受けするが現実的ではない政策を振りかざすことが、
首相の資格ではないと思っていたはずだし、
自分の不人気ぶり、
「凡人」「冷めたピザ」などと揶揄されていることが、
楽しかったはずはない
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金融再生関連法案では、
政策新人類なる諸君が登場し、
国会の場ではなくテレビで事態が進展するという
異常事態となった
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バッドゲームをしたものは、
ほかの業種であれば、
即座に退場である。
銀行もそれを覚悟するときだ
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連立の相手としての公明党は、
創価学会を支持母体にしているだけあって、
考え方が一つで安定している。
加えて数もある
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家族のみなさんにすれば、
なぜそんな時に後継者を決めねばならないのか。
とりあえず臨時代理を立てたまま、
首相の病状を見守っても良いのではないかと思うのが自然だ
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だが私たちの誰もあの時、
喜んで後継者選びをしたわけではない。
政治的な空白をつくるわけにはいかなかった。
あの時点で後継を決めた理由は
その一点につきる
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竹下さん。
あのころは二人とも若かったですね。
みながおなかをすかせて、
希望だけはいっぱいあったあの時代、
ふたりして山陰本線の列車に揺られながら
いろいろなことを話しました
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失点続きの森内閣の世論の不満を「風」と感じて、
勝負をしかけた男がいた。
加藤紘一さんである
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加藤さんは自分から党内抗争を考えるような人ではない。
そんな軽率な発言はあり得ない。
何らかの話の中で出た言葉を大きく曲解して、
当人の意思と異なる方向に持っていこうという動きがあるようだ
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古賀さんは政治の師と仰ぐ故田中六助さんの遺書ともいうべき
『保守本流の直言』という本を
いつも傍らに置いてきた。
宏池会は自民党を支える保守本流と考える古賀さんにとって、
加藤さんにどんなに愛情があったとしても、
自民党員でいながら、
自民党が与党の内閣への不信任案に反対票を投じないというのは、
政治の大道から外れていると考えたのだった
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加藤さんは、
最後に残ったリベラル派の首相候補として
値千金の価値があった。
ここで、
加藤さんを潰してしまうのは
なんとしても惜しかった
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政治の流れが作られ、
止められ、
方向が変えられる過程では
様々な力学が働く。
その中で
時間が与える影響は非常に大きい
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小沢さんの押せ押せムードが高まり、
新聞やテレビも小沢さん側についた。
完全に攻める側のペースで金曜日を迎えた。
このまま投票を行えば、
相撲の立合いに喩えるなら
小沢さんらの呼吸で立つことになる。
これではまずい。
政治の流れはこの間合いが極めて重要だ。
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やはり土日が挟まったことで、
燃え上がっていた加藤グループも
少し頭が冷えてきたようだ。
となれば
和解の余地はある
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本選で橋本さんが敗れたのは、
若手が小泉さんについたことも大きい。
自民党の若手、一回生、二回生たちに、
橋本さんと直接の接触がほとんどなかったことが
一つの敗因だと思う。
彼らの選挙の時、
橋本さんは首相であったり通産大臣であったり、
公務に忙しくて
若手の選挙の面倒をあまり見てやれなかった。
だから彼らは
橋本さんに恩義をあまり感じていなかったのだ
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結果的にいえば、
この小泉政権の誕生で、
流れは大きく変わったのである。
メディア政治がさらに加速した。
勧善懲悪のわかりやすい図式を描き、
橋本派議員、あるいは族議員は「絶対悪」、
小泉さんはそれを打破する「正義の騎士」という図式である
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道路は、公共財である。
たとえば、
その道路が一本ひけるかどうかで、
その地域の利便性が変わってくる。
さらに道路自体はネットワークとして考えれば、
単線ごとの収支はあまり意味がない
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道路は公共の財産であり、
民間企業が管理すべきものではない
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JR北海道とJR貨物は永久にだめだ。
ところが
多くの人はうまく行っている三社だけを見て、
他を見ようとしない
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劇場民主主義とは
テレビ政治と言い換えてもいい
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きつい言い方になるが、
眞紀子さんはその劇場民主主義の主役の一人だった
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政治家として必要な演技力も、
久米宏さんなどと一緒に劇団をやっていただけあって、
十分にあった。
というより、
ありすぎた
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ただお嬢様育ちで苦労知らずなせいか、
自分が苦しい立場に追い詰められた時に、
歯を食いしばってしぶとく耐えるということは
得意ではなかったようだ
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外交の世界で日本国を代表して成果を上げるためには、
何かと思い通りにならない外務官僚を掌握して、
百戦錬磨の世界の政治家と渡り合わねばならない。
言いたいことをはっきり言うことは許されず、
何かと辛抱が必要な地位である。
そうした役回りに就くには、
眞紀子さんはまだ準備ができていなかった
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外交官にも、
誇りをもって国益のために尽くした人はたくさんいる。
だが
官僚ではできない領域というものもあって、
そこは政治家ががんばらねばならない。
今の日本の政治家でも、
たとえばアメリカに行って
共和党ならこの人が行けば話がつく、
民主党ならこの人
といった人は非常に少なくなってしまった。
ヨーロッパ、ロシア、アメリカでそうした行動ができるのは、
現役の議員では橋本龍太郎さんぐらいだろう
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石原さんがテレビで
「自民党の大物議員が北朝鮮に米を送った。
日本の米を途中でタイ米か何かに換えて送ったというのを
俺は知ってるんだ」
と言ったことがある。
とたんに私のところに大変な抗議が集中した。
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私は三人(石原慎太郎&亀井静香)と会った時に
石原さんに文句を言った。
「いや、あんただとは言ってない」
「自民党の政治家といったら、
みんな俺を指すんだ。
俺のところへ抗議が集中するんだ。
亀井、おまえも言え」
そうしたら石原さんが、
「いや、あれは加藤だった」と。
「次のテレビに出て俺は言い直す」
そう言って、実際に言い直していた
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政治家はやはり、
地方から積み上げていかなくてはならない
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地方自治を経験しているかしていないかで、
この国の見え方は全然違う
〜 『老兵は死なず』 〜